みんなが知らないネパール | |||||
―文化人類学者が出会った人びと | |||||
三瓶清朝 著 | |||||
四六判 324頁 | |||||
ISBN | 978-4-86031-152-0 | ||||
価格 | 本体2500円+税 | ||||
発刊 | 2018年5月 |
内容 著者がネパールに現地調査をおこなったさいに出会ったカースト身分の違う男女7人の級友たちとの対話やその暮らしぶりや出会ったときの思いがけず起こったできごとをそれぞれ個人的に細かく描写。それを通してネパールの文化や社会(カースト制度)をうかがい知ることを目標に書かれた調査旅行記である。 |
目次 |
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第1章 カトマンズ市に到着 | ||
1 カトマンズ市に到着する | ||
2 ネパール訪問の目的 | ||
3 本書のねらい | ||
4 当時の政治的内戦的状況 | ||
5 ホテル=ヒマラヤ | ||
第2章 オミラ=ダリ(女性、46歳) | ||
6 オミラ=ダリ | ||
7 人はどれほどの土地を所有できるのか | ||
8 ネパールでのNGOの悪評判 | ||
9 NGO「Love Green Nepal」の現地事務所 | ||
10 ダヌワール族の一少女 | ||
11 ことばと社会構造 | ||
12 奨学金をもらった一五人の生徒の一覧表 | ||
13 わたしも奨学金を作る | ||
14 富裕と貧困 | ||
15 カトマンズ大学 | ||
16 オミラの家族 | ||
17 早くから独り立ち | ||
第3章 ギャヌー(女性、50歳) | ||
18 ギャヌー | ||
19 チェットリ族 | ||
20 娘のビヌー | ||
第4章 シバ(男性、30歳) | ||
21 21年ぶりにシバに会う | ||
22 タルー族は農業奴隷? | ||
23 タルー族のS村 | ||
第5章 カマラ=カント(男性、49歳) | ||
24 カマラ=カント=シャルマ陸軍少佐 | ||
25 シャルマ──三種類のバフン族 | ||
26 カマラ=カントの家計 170 | ||
27 ダリット(被抑圧層・不可触民) | ||
第6章 バリヤ(男性、45歳) | ||
28 S村の変貌 | ||
29 古い知り合いたち | ||
30 「協同家族」の財産と家計 | ||
31 語られなかった家族の話 | ||
第7章 ラム=バブ(男性、38歳) | ||
32 ソウラハ観光地とチトワン国立公園 | ||
33 一代で大地主になる | ||
34 資本の運用(ホテル経営者) | ||
第8章 シター=カナル(女性、42歳) | ||
35 シター=カナルとの付き合い | ||
36 財産と仕事 | ||
37 家族と使用人 | ||
38 通過儀礼のいくつか | ||
39 自称詞と対称詞と他称詞 | ||
40 家族(血縁親族)に対する対称詞 | ||
41 夫に対する対称詞 | ||
42 姻戚親族に対する対称詞 | ||
43 調査のまとめ | ||
44 帰国の途 | ||
あとがき | ||
初出一覧 |
著者紹介(データは発刊当時) |
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三瓶清朝(みかめ きよとも) | ||||
1945年生まれ。神奈川県川崎市育ち。1964年、都立青山高校卒業。1971年、玉川大学文学部卒業。 1975年、慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程卒業。1981年、同上博士課程単位取得済み満期退学。1977−1980年、日本政府(文部省)派遣留学生としてネパール国トリブバン大学に留学(研究員)。 鹿児島女子大学(現=志學館大学)教授を経て、いわき明星大学教授。2008年、早期退職。現在、アメリカ人類学会・アメリカ民族学会(いずれもアメリカ合州国)終身会員。 専門は文化人類学、社会学。著書に『ネパール紀行── 文化人類学の旅』(1997年,明石書店)がある。 |
「まえがき」より この本は、2001年8月から9月にかけて1か月間ほど、わたし(文化人類学者)がネパールに現地調査(field work)をおこなったさいに出会ったカースト身分の違う男女7人の旧友たちとの対話やその暮らしぶりや出会ったときに思いがけず起こったできごとをそれぞれ個人的に細かく描いたものである。それを通して全体でネパールの民族や文化(思考様式や行動様式)やカースト身分制度をうかがい知ることを目標に書かれた調査旅行記である。個人個人を通して見たネパール民族誌といってもよい。文化人類学的に見たネパール入門書といってもよい。 この本を書くことになった動機は、その2001年夏の調査旅行があまりにも楽しかったからである。まんべんなく旧友たちと会えたということも楽しくうれしかったが、それだけでなく旧友たちとかわした対話も実に楽しかった。この楽しかった旧友たちとの邂逅(かいこう)や対話を記録して残し、読者と共有することは文化人類学者のはしくれとしてのわたしの義務であると思った。 |